>>サイトマップ

〜由緒略誌〜

主祭神

福井藩祖          松平 秀康 公
                徳川 家康 公
福井藩第16代藩主    松平 慶永 公

相殿御祭神

土屋左馬助正明命  殉死、藩祖の家臣で武将
永見右衛門長次命  殉死、藩祖の家臣で武将
吉田修理義寛命    福井城築造総督の武将
御社名

御祭神のお一人、松平慶永公(春嶽公)より命名されました。
公は、福井という地名の由来のもとである『延喜式』祝詞の中にある「福井神」又は「栄井神」から、「栄」は「サカエル」とも読むことから、万葉仮名で佐佳枝廼社とお付けになり、福井をお守りする社と言う意味を込められました。
氏子・崇敬者の方々からは、親しみをもって「さかえのみやさん」、「さかえみやさん」と呼ばれております。
 
御社殿

伊藤平左衛門氏の設計・監修による。権現造り。鉄筋コンクリート造り 本殿・祝詞殿内木曾桧造り、屋根銅板葺き。
広さ391.22平方メートル。

境内社

栄稲荷神社
昭和35年5月 京都市下鴨鎮座の顕名霊社本殿を、所有者加藤尚氏より寄付を受け、御末社祖霊殿として元の境内北東に移築されてあったのを、此の度の再開発事業により現在地に移設し、栄稲荷様をお祀りした。境内で唯一の木造建築物である。
由緒

当神社の由緒は、寛永5年(1628)、福井城内の天台宗万福山泉蔵院瑠璃光寺北に、社殿を建立し、東照宮権現様(徳川家康公)をお祀りしたのに始まります。
明治6年、福井藩祖松平秀康公の御偉業を称えて、お祀りするにあたり、春嶽公により社名を佐佳枝廼社と命名されました。


明治14年県社に列せられ、明治24年11月11日、そのご遺徳を景仰して松平慶永公を合祀奉りなした。
以後、昭和15年の春嶽公50年祭には、勅使を遣わされるなど、皇室の御崇敬も厚く福井の氏神様として、社頭は賑わいをみせておりましたが、昭和20年の大東亜戦争による空襲、また昭和23年の福井地震と2度に渡る戦災・震災で、御社殿付帯施設一切が焼失しました。
しかし、すぐにも復興の気運が高まり、翌24年、岡田啓介氏、三井e子氏、松平康昌氏らの御助力により、京都市下鴨にある三井家祖霊社を譲り受け、拝殿として移築復元し、また、昭和30年には、先の災害を鑑みて、北陸初の鉄筋コンクリート造り、入母屋造りの御本殿が造営されました。


戦後、当神社は、福井市の要請のもと、大陸から引き揚げて来られた方々、戦災で焼け出された方々のために、境内の一部を提供し、当初は、門前町として浅草の仲見世通りにも匹敵する商店街をと希望しておりましたが、震災後の都市計画による減歩された土地での仲見世は、戦後40年を経過、建物の老朽化が進み、福井市中心部としてふさわしい景観を望む声が高まり、様々な案が検討された結果、神社を含む再開発という全国でも初の大事業が、平成元年3月、着工致しました。3年余に渡る大工事の末、平成4年4月17日に竣功致しました。

〜中根雪江の碑文〜へ



Copyright(c)2005 sakaenoyashiro All Rights Reserved.